名古屋高等裁判所 昭和39年(く)49号 判決 1965年2月23日
申立人 陸野修
主文
原決定を取り消す。
検察官の申立人に対する刑執行猶予の言渡取消の請求を棄却する。
理由
本件抗告の理由は、申立人名義の「抗告」と題する書面に記載するとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、原決定が申立人に対する刑執行猶予の言渡を取り消したのは不当であるというのである。
記録を調べると、申立人は、昭和三六年一二月四日大阪地方裁判所において恐喝、建造物損壊罪により懲役一年、四年間執行猶予の裁判を受け、右判決は同月一九日確定したものであるが、更に申立人は、その執行猶予期間中である昭和三九年六月一八日津家庭裁判所において児童福祉法違反の罪により罰金二万円に処せられ、右判決は同年一〇月一六日確定したものである。然るところ、同年一一月二一日津地方検察庁伊勢支部検察官検事倉本潔から、前記の刑執行猶予の言渡取消の請求があり、同年一二月一八日津地方裁判所伊勢支部は、刑法二六条の二、一号により、右刑の執行猶予の言渡を取り消したことが明らかである。
ところで、申立人は、前記の如く昭和三九年六月一八日津家庭裁判所において児童福祉法違反の罪により罰金二万円に処せられたのであるが、右事案は、申立人の経営するバーで、一五才に満たない児童三名を、昭和三八年九月二七日頃から、それぞれ同年一一月一五日頃までの間四九回位、同年一一月一六日頃までの間五四回位、同年一〇月二四日までの間二七回位客の酒席に侍する行為を業務としてさせたというのである。右裁判に対して検察官から控訴の申立があり、検察官は一審公判における検察官の求刑懲役六月に比して、罰金二万円の右判決は量刑が軽きに失すると主張した。之に対して当裁判所は、昭和三九年一〇月一日、右事件において被告人により客の酒席に侍せしめられた児童等は、中学校を早退して、そのまま無断家出し、年令を一九才と偽つて申立人方に職を求めて来たもので、元来素行不良の者であり、同人等の言を申立人が軽々に信じて深く調査しなかつた点で法律上の責任を免れるものではないが検察官所論の如く女給を逃したくないとの私利私欲から、ことさら身許を確認しなかつたという程の悪意がなかつたことは、右児童等の内三嶋啓子が実家に手紙を出すのを知つても、あえて之を阻止する等の挙に出ず、その結果右児童等の所在も、その父兄に判明し、右児童等も比較的早期に家庭に復帰したことによつても認められること、その他児童等の接客についても特段に不健全な挙動を強いることなく、殊に児童等の内亀谷恭衣が客の申出に応じて旅館に同宿する話合をしたことを知つたときは、申立人は厳しく之を咎めて禁止している等、この種業者に有り勝ちな悪らつさが認められないこと等の情状を考慮して、検察官の主張を退け、原審の量刑を維持したことは、記録中の右事件の第一審判決及び第二審判決により認められ、また当裁判所に顕著な事実であり、右判決が昭和三九年一〇月一六日確定したことは前記のとおりである。そして右事件のこのような経過、右犯罪がそれ程悪質のものとは認められず、かつ前記の恐喝、建造物損壊罪と罪質も異にすること、申立人は、その後今日まで過誤なく身を持していること等の諸事情に鑑みると、原決定の如く刑執行猶予の言渡を取り消して申立人を服役させるよりはむしろ同人に今一度更生の機会を与えて完全な社会復帰を期待することが刑政上適当であるというべきである。
従つて、本件抗告は理由があるので、刑訴四二六条二項により、主文のとおり決定する。
(裁判官 高橋嘉平 西川力一 斉藤寿)